野生の鴨から取っただしは、想像をはるかに超える滋味深い味でした。
食べたのは「鴨せいろ」(1,100円)。灰汁がうっすらと浮くお椀の中には、薄く切られた鴨肉が、ねぎとともにまばらに浮いています。
しかし少なく見えるこの鴨肉が、深いコクとうま味を出していました。まさに濃厚。まさに野趣。それでいて想像していた臭みはまったく感じられません。まさか
これほどとは予想もしなかった違いが、野生の鴨と合鴨との間にはありました。
この野生の鴨を使った鴨せいろを出すのは、岩手県中部・北上市郊外の一軒家。大きなバイパス沿いに建つその店は、ともすれば通り過ぎてしまいそうな、ごくごく普通の店構え。
よくある、蕎麦屋と言いながら蕎麦は脇役、丼物とのセットで成り立っているような、そんな店構えなのです。
しかしこの店は違います。メニューはほぼ蕎麦だけ。丼物はおろか、うどんすらありません。
「もり」「ざる」「冷なめこ」「とろろ」「鴨せいろ」「天ざる」、冷たい蕎麦でいえばこの6点のみ。
それも別紙のメニューにわざわざ “多くのお客様よりご要望のございました「鴨せいろ」” と書いてあるところを見ると、要望に応え復活させた特別メニューという扱いなのでしょう。
もちろん、この店を私が評価するのは、蕎麦自体もかなりのレベルで洗練されたものだからです。
石臼引きで手打ちと、手間暇と技がかけられた蕎麦は、色が濃いめであるぶん蕎麦特有の甘みと香りがしっかりと残っていて歯ごたえじゅうぶん。しかし田舎っぽさは微塵もありません。
追加で注文した「もり」に付いてきたつゆもしっかりとしたうま味と甘みがあって品が良く、東京の一流の店に引けを取ることがありません。かなりの修業を経た、まさに職人の蕎麦です。
お勧めはやはり「鴨せいろ」ですが、470円と安い「もり」一枚でも蕎麦の醍醐味を十分堪能できるでしょう。
次また行くならば、個人的にはぜひ「くるみ汁」(200円)で蕎麦を堪能してみたいもの。胡桃は岩手県民にとっては特別な御馳走の味だとのことで、雑煮の餅はわざわざ引っ張り出して胡桃のタレにつけて食べるのが正式とされているほど。その特別な胡桃味の蕎麦がいかなるものか、ぜひ試してみたいものです。
そのほか「そばしるこ」や「沢内村特産ワラビ」など、ちょっとゆっくり腰を落ち着けてみたくなる興味深いメニューも。
洗練された蕎麦と、野趣あふれる東北の味を同時に楽しめる稀有な店として、今後東北・岩手を旅する際には必ず立ち寄ってほしい、それほどの店です。
「松苑」(岩手北上・蕎麦)
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