【豊洲に移転しています】
ねぎだく・トロだく・アタマの大盛りです。
築地市場内にある吉野家第1号店。ここには、この店だけで通る特別な注文があります。
ねぎだくは玉ねぎたくさん。
トロだくは肉の脂身たくさん、という意味。
個々の客に合わせたカスタマイズが可能で、その気になれば「ねぎだけ」という、肉が入ってなくて玉ねぎだけ、という丼も注文できるそうですが、さすがに牛肉が入ってない牛丼を食べるのは悲しいので(しかも値段は変わらず)、上記の注文をしてみました。
味は安定の吉野家クオリティ。しかもトロだく・ねぎだくはおいしい。やっぱり松屋よりもすき家よりも私は好きです。
さて、この店は吉野家にとって事実上の創業の地として、特別な意味を持っています。
もともと戦前、魚河岸は日本橋にありましたが東京大空襲で焼け落ち、戦後しばらくして築地に移転します。魚河岸について築地に移転してきた牛丼屋を父から受け継いだ松田瑞穂氏は、徹底的な合理化で「はやい・うまい・やすい」を追求。この小さな店で年商1億円を達成し、チェーン展開に乗り出します。
コの字型のカウンターに、47個の穴が開いたお玉など、現在の吉野家につながるすべてはこの店で生まれたと言っても過言ではありません。
しかし吉野家最大の危機となったBSE(狂牛病)。米国産牛肉の輸入が途絶え、2004年2月に全国の吉野家で牛丼の販売ができなくなるなかで、この築地の店だけは牛丼を販売し続けます。当時の写真が出てきました。
創業の地として、吉野家の象徴としてどうしても牛丼の火を絶やしたくなかったのでしょう。この築地の店だけ牛丼を細々と提供し続けました。国産牛を使い、価格を上げましたが、それでもたぶん赤字だったのだと思います。
2005年2月に、この築地店で食べた牛丼の写真です。変わらぬ味でした。
すき家などが米国産牛肉の代わりにブラジル産などを輸入し、すっかり味が変わってしまったのに対し、吉野家の誠意を見た気がしました。
当時社長だった安部修仁氏(現会長)は若い時に築地店の店長も経験しており、この創業の地には特別な思いを持っていました。だから無理してでも築地店だけは同じ味の牛丼を提供し続けたのでしょう。
牛丼の吉野家の基礎を作ったばかりでなく、日本の外食産業の草創期を支えた企業・吉野家の原点となった築地第1号店。
この店も、10月6日(土)の築地閉場とともに消える運命になっています。行くならあとわずかです。
だれか「ねぎだけ」を注文してみませんか?
「吉野家第1号店」(築地場内・牛丼)
https://tabelog.com/tokyo/A1313/A131301/13009524/