この店でとくに飲んでほしいのが、ピニャ・コラーダという名のカクテル。
ラムをベースに、パイナップルジュースとココナツミルク、そして氷を入れてシェイクするもので、南国の香りと甘さがここ父島にふさわしく、プエルトリコから来た客が「本場よりおいしい」と言ったというのもうなずけます。
このバーがあるのは、父島の中心地・東町から歩いて10分ほどの奥村という集落の道路沿い。
小笠原でタマナと呼ばれる、樹齢200年はあろうかという大きな大きな木を取り囲むように建てられた小さな建物。南の島のさわやかな潮風が吹き抜け、いつまでもいたくなるようなとても素敵なバーです。
「ヤンキータウン」という店の名は、この集落のかつての呼び名からつけられています。
かつて無人島だった小笠原諸島に、人間が定住し始めたのは1830年。最初の人々は、米国や英国などからの男たちが、ハワイの女性たちを伴っての集団移住でした。
彼らは、当時この海域で操業していた欧米の捕鯨船の乗組員から、水も緑も豊かだというこの島の存在を聞き、ユートピアと信じて移住してきたのです。彼らは農漁業で自給自足の生活をしながら、一方で捕鯨船を相手に水や食料を売って生計を立ててきました。
その後、幕末から明治維新にかけて小笠原諸島が日本の領土として国際的に認められていく過程で、彼らは日本の支配を受け入れ、日本人となることを選び、そのままいわゆる“欧米系日本人”として本土からの移民とともにずっとこの島に暮らしてきました。
こうした、欧米人をルーツに持つ日本人(帰化人)の集団は日本でもこの島だけのものであり、まさに彼らは“知られざる日本人”なのです。
そして、彼らの多くが住む奥村のかつての呼び名、ヤンキータウンから取ったこの店を営むのもまた欧米系の大平レーンスさん。独特の風貌とはにかむような笑顔が素敵な男です。
もし興味があったら、彼に聞いてみてください。
太平洋戦争、米軍統治、そして返還という小笠原の歴史のなかで、彼らがどんな運命をたどってきたかを。
東京からわざわざ船で24時間かけてこの島にやってくる目的の半分が、この店で酒を飲むためであってもいい。
そう思えるほどの貴重な体験ができるバーです。
「ヤンキータウン」(小笠原父島・バー)
https://tabelog.com/tokyo/A1331/A133102/13095357/