東京でいちばんおいしい蕎麦だと、私が信じる店です。
とくに今回、葱の焼き方が改善され、より一層「鴨ざる」がおいしくなりました。
以前は太い白葱の芯が生焼けで残る感じで、少しツンとする感じが残る点が唯一不満として残っていたのですが、今回食べたものは火の通り具合が完璧で中がとろっとする食感が絶妙。さらに一段アップしました。
蕎麦つゆは江戸前のややとがった味ですが、鰹節などのうま味も濃く、以前よりも少し丸くなった印象。個人的にはもうちょっと主張があってもいい気がしますがまあ好みと言うべきレベルでしょう。
鴨は、ほんのり血の匂いがするものの野趣の範疇に収まり、やわらかく仕上がっています。やはりこの店は鴨ざるに限ります。
蕎麦そのものも非常に洗練されたもので、香り高く、非常に美しいもの。
喉越しもよく、舌の上でちゅるんっと踊る感じが絶妙です。
一方、「田舎」は黒々ねっとり出雲風。
昔、この店に通い始めたときはねっとりし過ぎでネチネチと粘土のようだったのがこれも改善され、うまくなりました。
この店があるのは北品川。品川駅から南にひと駅にある「北品川」です。
旧東海道の品川宿があった地域で、本来の品川。街道沿いには商店が並び、かつての賑わいを感じさせてくれます。
店は旧東海道から東に下った運がに面した通り沿い。小さな店構えが誠実さの表れのようで好感が持てます。
この店は、蕎麦づくりの名人と言われる高橋邦弘氏の愛弟子の店。
機械打ちの発達で一時は消えかかっていた手打ちの技を再興した高橋氏は、まず目白で「翁」を開店し高い評価を得ます。その後、山梨に店を移転、わざわざ彼の蕎麦を食べるためだけに東京からたくさんの客が押し寄せて来るという、伝説の蕎麦職人でした。
その後、彼が広島の山奥に移住、店名を「達磨」に変えて土日を中心に営業しながら後継者の育成を始めたのです。この「達磨」に何回か行ったことがありますが、非常に端正でほんとうに喉ごしが良く、しかも香りも高いものでした。
この「しながわ翁」は、その高橋邦弘さんのもとで修行した高野幸久さんが開いた店。高橋さんの弟子が開いた店はいくつもありますが、この店は伝説の店「翁」を名乗るだけあって、高橋さんの蕎麦の味にかなり近いものを出します。
とにかくうまいのは、ざる。さすが「翁」ゆずりのものです。
しかし一方で、季節限定のきのこ蕎麦など、温かい汁蕎麦も捨てがたいものがあります。
また、酒肴も充実。
玉子焼きは硬めのだしが出しゃばらず、かちっとした味のもの。焼き加減もふわっとやわらかく、丁寧な仕事ぶりがうかがえる一品です。
ところで、この店の常連になると嬉しいのが、大晦日だけの持ち帰り蕎麦。
事前に往復はがきが送られてきて、希望数を記入して返送すると大晦日に打ち立てを持って帰ることができます。
以前は、高橋邦弘氏も大晦日にやってきて蕎麦を打ち、高橋名人と高野幸久さんの師弟の打った蕎麦を食べ比べて年を越す、という贅沢なこともできました。蕎麦そのものも、そばつゆも違いがわかって非常に興味深いものがありました。
いまは高橋名人が打つことはなくなりましたが、それでもこの店の年越しそばを楽しみにしている人は多いのです。
とにかく、高橋邦弘さんの技をしっかりと受け継いだ最高水準の蕎麦を、手頃な値段で提供してくれる店。
もしあなたが無類の蕎麦好きで、うまい蕎麦のためならどんな場所にでも行くという人だったとしても、広島の山奥までわざわざ“巡礼”に行くのはさすがに難しいでしょう。
まずはここでじっくり「翁」の蕎麦の奥深さ、醍醐味を味わってみてください。
「しながわ翁」(北品川・蕎麦)
https://tabelog.com/tokyo/A1314/A131405/13001865/