その”差”に気づいたのは私が小学校2年生の時だったでしょうか。
「小学校に来る前はどこに行ってたの?」
大人となってしまったいま、言葉に書き表してみるとどうにも嘘くさい
奇妙な文章になってしまいますが、こんな内容の質問を
同級生にすることがよくありました。もちろん、友達のことをより詳しく
知りたい、という意図から出た素朴な質問としてですが。
すると、幼稚園を出た子と保育所を出た子のあいだに
はっきりとした学力の差があることに気づきました。
もちろん、当時私がそんなことを口にすることはありませんでしたし、
これまでの人生でも公の場ではっきり言うことはありませんでした。
ところが先日、国立教育政策研究所が全国学力テストの結果を受け
発表した「平成22年度 全国学力・学習状況調査 報告書・集計結果」は
私の”経験則”と同じ内容を盛り込んでいました。
(リンク先PDFファイルの31頁)
それによると、3歳から6歳の間で「幼稚園に通っていた」児童と
「保育所に通っていた」児童、それに「どちらにも通っていなかった」
児童の順で、国語・算数ともに明らかな成績の差があったというのです。
驚いたことには、これが小学校6年生でのテスト結果であること。
「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、幼児期の教育がいかに
その子の可能性を左右するかを初めて明らかにしたと言えるでしょう。
もちろんこれは”傾向”であって、すべてを表すわけではないのですが、
この調査結果は、これからの次世代育成支援の方向性に大きな問題を
投げかけました。
つまり、働く女性のために保育所をただやみくもに増設していくことが
本当に正しいことなのか。
女性が働きやすい環境を作ることと引き換えに、我々は子どもたちの
可能性を狭めているのではないのだろうか。そしてそれは同時に、
日本という国の将来を犠牲にしているのではないのだろうか、と。
言うまでもなく、保育所は保育をする場であり、教育をする場では本来
ありません。もちろん一部には英語などを含めた幼児教育の充実を
謳う民間の保育所はあるものの、近年はむしろ 「見守り保育」の名の
もとに放任主義をとる保育所が増えているのが現実。
こうした保育所での数年間を過ごすことは、親が就労によって子どもと
接する時間が少なくなることと相まって、場合によっては集団生活の
規律やひらがなカタカナや数も知らないまま小学校に入学させてしまう
可能性があることを意味します。
それがはたして、子どもたち自身にとって、そして日本という国家にとって
いいことなのか。
真の意味での次世代育成を支援していくのならば、その解決策は
幼稚園の支援と改革ではないでしょうか。
本来の幼稚園の授業時間の前後に子どもたちを預かる時間帯を設定し、
親の就労時間に合わせて長時間子どもたちを預かる「延長保育」を
大幅に拡充するのです。
そうすれば昼間は充実した幼児教育の機会を与えられますし、朝の早い
時間と夕方以降はしっかりと預かってくれるならば、子どもたちの将来の
可能性を犠牲にすることなく親は安心して働くことができるようになります。
幼稚園はすでに施設が整っていますから、子どもたちを預かることには
なんの支障もありません。むしろ最近の幼稚園は、共働きの増加によって
入園児が減少し、施設に余裕がある園も多くなっていますから、子どもの
面倒をみる(保育する)人員さえ適正に配置できればすぐにでも始められ
ます。人員は民間の保育施設との連携も可能でしょう。
つまり保育園を増設するよりも、幼稚園の延長保育を公立を含め全体に
広げ、大幅に拡充するほうが待機児童は一気に減少させられますし、
なおかつ子どもたちの将来の可能性を狭めることもなくなるのです。
これは制度の問題ではありません。
政治さえ動けば、問題は解決に向けて大きく前進するのです。
いま議論されている、いわゆる「幼保一体化」は制度面の問題が大きく、
実現するにしても数年以上かかってしまうでしょう。
いま、 「幼稚園による預かり保育」というすぐに手を付けられる解決策が
目の前にあるのならば、政治は躊躇することなくそれに着手すべきです。
もちろん今回の調査結果の発表が、いわゆる「幼保一体化」の議論の
中で、幼稚園を所管する文部科学省が、保育所を所管する厚生労働省に
向けて投げた牽制球という意味合いは否定できません。
しかし、我が国の将来を担う子どもたちに十分な幼児教育を受けさせ、
その無限の可能性を保証することは、国家や地方自治体の責任でも
あるはずです。
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
http://www.totteoki.jp/negoto/
コメント
幼稚園と保育園ねえ、そんな差があったことすら知りませんでした。
まあ田舎育ちの放し飼いみたく育ちましたから、通ったのが
保育園なのか幼稚園なのかも定かではありませんでした。
しかしこの年になって言えることは、何が幸せか不幸なのか
直ぐには結論出せないという事でしょうか。
自分が主体となって物事を考える生き方を教えてあげれば、
或いはどこかで学んでいればいいと思うんですけどねぇ・・・・
秀さんは幼稚園でも保育所でもない「どうぶつえん」の出身でしょ?
ほら、江田島で野生化したクジャクと一緒に遊んでいたって
言ってたじゃないですか。
しかし、自分で考える力こそ幼児教育によって身に付くものだと
思うんですよ。たっぷりある時間のなかで、遊び、学び、
いろんなことを表現することによって。
それこそ小学校以上ではなかなか教えられないことですからね。
時代が変われば環境も変わるので、私らの経験則を
そのまま当てはめる訳にはいきませんですね。
でも正直言って昭和30年代に幼少期を過ごした人は
幸せだったと思います。「黄金の30年代」とも言われて
いるようですからね。
三つ子の魂百までもというヤツですなぁ・・・・
そういえば小さいころ、向かいの金物屋の婆さんに
「この子は悪知恵が働く」って言われた事がありましたなぁ。
悪知恵が働きすぎて、いまの悪業の限りを尽くす道へ進んだ、
ということですね。
黄金の30年代って、いったい誰が言ってるんです?
初めて聞きました。
悪知恵というのは、誰も考えつかなかった事を考え付く
という事ですから、人生生き抜くために必要な知恵です。
「黄金の30年代」知りませんか?
誰が言ったか(立松和平かなぁ?)
良く覚えてませんが、「隣のトトロ」が公開された後に
言われ始めてましたよ
ふーん。
団塊の世代に頭を押さえつけられ続けてた
鬱屈した世代、というイメージしかありませんが…。
ふーんなるほどね。
で、みんみんさんの世代って、それを横目に見ながら
ちゃっかり余禄にはありついて、自分ではなぁーにもしないで
ブクブクと意味も無く太ってしまった世代ですか。
「ブクブクと意味もなく太ってしまった」とは失礼な。
幸せ太りと言ってください。