軍艦島に行ってきました。
軍艦島とは、長崎の沖合にある周囲1.2kmの小さな島。
本名は「端島(はしま)」と言いますが、写真の通り
その姿が軍艦のようにみえるために、いまでは
こちらの名前のほうが通りがよくなってしまいました。
なかでも戦艦「土佐」に似ているために名付けられたとか。
その「土佐」の写真。
(大正11年撮影・呉市海事歴史科学館所蔵)
見比べるとたしかに雰囲気がよく似ています。
「軍艦島」とはよく名付けたものです。
この島を軍艦に見せているのは、周囲を囲む高い堤防と
島を覆い尽くす鉄筋コンクリートの構造物。
その異様さは、見る者を圧倒します。
一定の年齢以上の世代にとっては
「さらば宇宙戦艦ヤマト」に出てきた敵の
都市帝国(白色彗星帝国)にも見えるかもしれません。
この島は、石炭の島でした。
かつて、海上に岩が突き出しただけの姿だったこの島が、
現在のような姿になるきっかけとなったのは、
明治23年(1890年)に三菱がこの島を購入したこと。
それまで小規模な採炭は行われていたものの
小さな島のためなかなかうまくいかなかったのを、
買収後の三菱は大がかりな開発に着手します。
島の周囲を埋め立て、護岸で固めることで島を大きくし、
新たな坑道を掘ることで出炭量を飛躍的に伸ばしたのです。
それとともに坑夫をはじめとする居住者の人口も増大、
彼らを住まわせるための集合住宅が次々と建てられていき、
島はコンクリートに覆われていきました。
驚くのは、日本で最初の鉄筋コンクリートのアパートが
この島にあることです。
上の写真の真ん中にある立方体に近い形の建物。
これが、日本初の鉄筋コンクリート製の集合住宅です。
30号棟と呼ばれ、鉱員たちが住んでいたこの建物は
大正5年(1916年)建築。
現在、表参道ヒルズとなっている同潤会青山アパートメントができたのが
大正15年(1926年)ですから、30号棟は10年も先行して建てられています。
ただ同潤会の場合、関東大震災復興のための住宅供給という
目的と同時に、耐震・防火性能に優れた鉄筋コンクリート住宅を
いかに日本人の生活にあわせて作り上げていくかという理想が
ありました。
それに対し軍艦島の場合、狭い土地にできるだけ多くの
坑夫を住まわせなければならないという必要性から、単に
住宅を上に伸ばしたものであって、けっして住環境や
生活水準の向上には結びついていなかったのが
現実のようです。
とはいえ、こんな九州の沖の小さな島に日本初の鉄筋コンクリート製
集合住宅があることが驚き。
いかに石炭が儲かったか、ということなのでしょう。
かつて同潤会フリークであり、建て替え直前の
「同潤会江戸川アパートメント(新宿区)」に実際に住もうとさえした
私としては、この30号館はぜひとも見ておきたいものでしたから、
感慨もひとしおでした。