結論から先に言うと、彼、山下一史は
この「新世界」に勝負を賭けていました。
そして、その賭けに彼は勝利したのです。
山下一史。
広島市出身、”カラヤン最後の愛弟子”とも呼ばれる指揮者で、
1986年、急病のカラヤンに代わってジーンズ姿で「第九」を
振ったというエピソードは当時、日本の新聞でも話題になったのを
私自身もかすかに覚えています。
彼には10年ほど前に、あることでお世話になったことがあり、
今回、NHK交響楽団を指揮するというので、
葛飾区の青砥までわざわざ聴きに行ってきました。
会場は、京成青砥駅から徒歩5分のかつしかシンフォニーヒルズ。
周囲は密集した低層住宅地、いわゆる下町そのもののなかに
忽然とそびえるコンクリートの塊のたもとには、
モーツァルトの銅像が立っています。
いったい元の土地はなんだったのかと疑問がわきあがるほど
およそ不釣り合いな場所にあるこのホール。
理由もなく、ただ単に雰囲気づくりの”飾り”として立たされている
モーツァルトはかなり気の毒です。
観客席も木でできてはいるものの、合板一枚を折り曲げただけで
断面は合板の層がそのまま丸見えというまるで学校の椅子のようなもの。
地方自治体の見栄だけで建てたというのが丸見えのホールです。
今度、八王子市が市民会館を建て替えて”本格的”クラシックホールを造り、
女性指揮者・西本智美を総合プロデューサーに迎えるとか言っていますが、
文化的なベースのない地域にいくら立派なモノを作ってもそれは壮大な無駄
というもの。
いつまで日本はこんなことを続けているのでしょうか。
さて本題に戻りましょう。
演目は「ウィリアム・テル」序曲にショパンのピアノ協奏曲第1番、
そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」。
いかにも田舎(地方)のハコモノホールが希望しそうな演目です。
開演のブザーが鳴り、ステージに上がってきたN響を見てみると、
コンサートマスターの篠崎史紀が来ていません。
かなりナメくさった演奏になりそうだなという悪い予感がします。
そして、「ウィリアム・テル」は練習した形跡がないほどばらばら。
ショパンも、ピアニストの横山幸雄に勝手に弾かせているだけという感じ。
2週間ほど前にショパンのピアノソロ166曲連続演奏を
成し遂げたばかりの横山幸雄も、この曲は適当に流してるよう。
N響との受け渡しもずれてしまい、このときは山下一史の
プレッシャーに対する”弱さ”が出たのか、と一瞬ひやりとさせられる
場面もありました。
ところが、「新世界」は別格でした。
立ち上がりが揃った音。うなる弦の響きに、輝かしい金管のハーモニー。
とくに冒頭から”野太く”入っていく第二楽章などはほかにない解釈で、
聴く者をどんどん引き込み、魅了していきます。
“かったるさ”が蔓延していた先ほどとは、天と地ほど違う演奏に聴こえたのは
さっきすきっ腹に流し込んだ赤ワインのせいだけではないはずです。
限られたN響との練習時間をすべてこの一曲に注ぎ、
完璧を期したであろうことが端々に感じられます。
山下は、この曲だけはN響を完全にコントロールし、
渾身の演奏を聴かせていました。
たぶん山下はこの「新世界」一曲に賭け、
乾坤一擲の勝負を挑んできたのでしょう。
N響に対し、聴衆に対し、そして日本の音楽界に対し。
広島市の原爆資料館に展示されている、
「被爆者から抜け落ちた髪の毛」は山下の母、博子さんのもの。
博子さんの愛情のなかで山下は指揮者を目指し、
被爆二世という重荷を背負いながらも、ここまでやってきました。
現在、仙台フィルハーモニー管弦楽団で正指揮者を務める山下一史。
雌伏期間は少し長かったですが、これからの彼がすごく楽しみになりました。
(敬称略)
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
http://www.totteoki.jp/negoto/