新しい東京駅が、その全貌を現してきました。
この駅舎のなかには昔から
「東京ステーションホテル」があって
そのクラシカルな雰囲気と歴史は
知る人ぞ知る一種憧れの存在でした。
私も、一度だけ泊まったことがあります。
上の写真以降は改装に入る前、
休業前に撮影したものです。
配管が壁を伝うなど、当時はけっこう
ツギハギ感のあるくたびれ気味の外観でしたが、
それでもけっこう人気があってなかなか空室が
出てきませんでした。
ロビーはこんな感じ。クラシカルな雰囲気。
シャンデリアも時代を感じさせる優雅なもの。
ただ、部屋はサッシがボロボロで
けっこう隙間風がひゅーって吹き抜ける
ちょっと悲しくなってしまう宿でした。
でも今回の大改装で名実ともに東京を
代表するホテルに生まれ変わるとか。
また泊まってみたいのですが、こんどは
昔みたいなお値打ち価格では出てこないでしょう。
なにしろ国の重要文化財に泊まるわけですからね。
「東京ステーションホテル」
http://www.tokyostationhotel.jp/
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
http://www.totteoki.jp/negoto/
コメント
このホテルに約半世紀近く前宿泊したことがあります。
大学受験で上京したときですけど、当時はなんだか
くたびれてボロっちい感じでしたけど、ちょっと歴史を
感じさせらるとこのあるホテルでした。エビフライが旨かった
思い出があります。
でしょうねぇ。
秀さんの時代はエビフライは高級料理で
瀬戸内海の離島に生まれ育った秀さんにとっては
初めて見るものだったでしょうからねぇ。
来月オープンですから泊まりに来たらどうです?
エビフライはさすがにもうないと思いますが。
高校時代のみんみんさんなんてエビフライなんか見たこともなかったでしょうねぇ。
エビフライがなんでないのでしょうか?そういえば、上高地帝国ホテル
のオムライスのハッシュドビ-フがこれまた旨かったですねぇ。
こういった正調の洋食を食べさせるお店って少なくなって残念です。
博多はラーメンと明太子しかないようですけど。
秀さんと私の年齢差がいくつあると思ってるんです?
30歳以上ですよ。生まれ育った世界が違います。
エビフライなんてごく普通の食べ物でしたから
ホテルでまた食べたいなんて思いませんことよ。
まあ瀬戸内海のばっちい広島湾あたりでは、
海底のゴミをあさるシャコはいてもまともな
海老はほとんどいないでしょうから、しかたのない
ことかもしれませんけどね。
アナタが食べたエビフライなんてどーせ、汚染された博多湾で育った
小指くらいのものでしょ。
私が食べエビフライは、子供の二の腕くらで、お髭ピンとした立派
なものでしたからねぇ。
記憶に残ってる料理がエビフライだなんて、ふだん
よっぽどひどいものしか食べてなかったんでしょうねぇ。
私の受験のときは大学までの途中にあったウェンディーズを
兄が昼食に買って持たせてくれたのを覚えていますけど。
おやまぁ、お受験に兄同伴とはこりゃまたヤワな家庭ですこと。
私の受験の時のお昼は当時のカノジョお手製のお握りでした、ハイ。
そんなんだから落ちるんですよ。
そのあとすぐフラレてるし。
あ、羨んでるぅ。
やっかみはみっともないでっせ。
「過去の遺物大学」に行った直後にフラレたくせに?
なんでそんなことを羨むの?
そりゃもてない君の僻みだからです。
ぜーんぜん。
秀さんに劣るところなど微塵もありません。
うひィ・・・・たかが大学受験に家族同伴なんてねぇ・・・
私なんかカノジョに「頑張ってね!」って励まされて弁当渡され
ましたかねえ。悔しいでしょ。
それで落ちてるんだから世話なし。
問題はそういう事ではないのですよね、おぼっちゃま。
そうやって女なんかにウツツをぬかしてるから、
第一志望の大学にKOされるんですよ。
まあそういう恥ずかしい過去を一生自慢してればぁ?
当時の価値観がちがうのですよ。
いい大学に入っていい会社に就職してなんて人生思ってもなかった
ですからね。
アナタにとって志望の大学に入ることが一番価値あることだったと
いうだけ。
まるで大宰治の小説の主人公になったような感覚でしたからねぇ。
のちに振られることになる彼女が、受験の日にお弁当を
作ってくれたということを、半世紀もたったいまも自慢する
秀さんがみっともない、って言ってるだけですよ。
そのときに太宰治にかぶれて人間失格になってたことなんて
じぇんじぇん関係ないことでございますよ。
朴念仁そのものですね。
家族同伴でお受験に邁進し、第一志望に入学することしかなかった
御仁には理解不能でしょう。太宰治なんて読んだ事もなかったくせに、
何を言うやら。もっとも私もフリークな読者であったことはありませんけど、
ただそういうアンニュイな雰囲気はすきでしたねぇ。単純な頭と
余裕の無い情緒感の持ち主とは考えていることが違うという事です。
自慢する気は毛頭ありませんが、反省する気もありません。
家族同伴ってあなた、兄は先に同じ大学に合格してて、
私の受験の時も兄の下宿に泊まっただけですよ。
受験前には兄に連れられて映画の試写会に行き、
「ペンギンズバー」で合格前祝いの乾杯をしました。
まさに平常心での勝利でしたね。
一方で秀さんはといえば、
瀬戸内海の離島に生まれ育った田舎もんが見栄を張り、
大枚はたいて東京ステーションホテルという不釣り合いな
ところに泊まり、(と言っても当時からボロでしたが)
生まれて初めて食べるエビフライという食べ物に目を白黒させ、
その挙げ句、のちにフラれる彼女からの弁当で舞い上がって
結果は第一志望にKO喰らってるんじゃしょうがありませんわなぁ。
まあその結果が、くらーい穴掘りと練馬での乱暴狼藉という
すさみきった学生生活になってしまったんでしょうけど。
あれま、おぼっちゃまがムキになってらぁ・・・・・
当時のカノジョは同じく女子美受験のため上京していて、
親戚の家泊まりでした。
大学の校門でお弁当のお握りの包みを渡されましたっけ。
こういう艶っぽい話と縁遠い青春をおくったみんみんさんには
理解不能でしょう。
大学ではクイズ研究会とか言うオタクそのものの
お遊びサークルでうじうじした青春を送り、彼女の一人も
見つけられず、楽しみといえば、大戸屋のカツドンという
野蛮な生活でしたからねぇ。
彼女が上京するから自分も東京の大学を受けただけ。
昔、そう言ってましたよねぇ。
目的も理想もないノンポリ野郎が、ただ女のケツを
追っかけてフラフラと受験なんかするから第一志望
全敗するんですよ。ああ情けない。
で、場末を徘徊するうちにエロ小説家志望になり、
流れ流れて広島の極道ですからねぇ。
まぁ九州の端っこから、W大は帝大より上と一家そろって信じ込んで
兄貴の尻を追っかけて受験したわけですねぇ。
ラッパをてきとーにブカブカ吹いて、後はお受験に邁進したくらーい
青春を過ごして入学したのが野蛮な大学で、女学生も敬遠すると言う
位の場末大学。で、入部したのがふざけた名前のクイ研。モテない
クライ・根暗・三重苦のオタク学生のたまり場だったとは・・・とほほ
当然在学中はカノジョもできなくて、鬱屈した気分のまま卒業し、何を
血迷ったか権力志向者の牙城である松下塾を受験するとは、見栄と
権力欲とモテナイ僻みでもはや物の怪と化してしまったのですねぇ。
高校時代、ゲーテとベートーヴェンに心酔した熱き少年が、
東京の自由な校風の大学ででたくさんの優秀な友を得て
その豊かな知識と才能を開花させた、波乱万丈の学生生活の
物語です。
まあ「過去の遺物大学」の秀さんには理解できないとは
思いますがね。
なるほどねぇ。いなかっぺにはゲーテやベートーベンが高尚だった
わけですねぇ。
自由な校風で優秀な学友ねぇ。なるほど先輩にも沢山優秀な政治家
がおりますからね。おほほほほ・・・・・・
ま、ゲーテにもベートーヴェンにも接したことのない
秀さんですから、「高尚」というひと言で片づけるしか
ないでしょうけどねぇ。
まあ、瀬戸内海の孤島にはぜいぜい太宰治くらいしか
文化はやってこなかったということなんでしょうね。
ああかわいそう。
おーさすが独善の王者らしいですなぁ。
アナタとここで哲学論争しようとは思いませんね。
「どーだ俺はこういう高尚な哲学を知ってるんだ!」と言う態度
みえみえの御仁がゲーテねぇ?
「高尚な」という単語を使う人って、対象となる事柄を
一切理解できず、理解しようともしない、とっても
リテラシーの低いひとなんですよねぇ。
しかも妬みが入り雑じってる。
ははは、アナタにこそふさわしい。
とてもゲーテに心酔した人のコトバとは思えない。
ゲーテを一度も読んだこともない秀さんが、
「とてもゲーテに心酔した人のコトバとは思えない」
と書いたところで、どこに説得力があるというのでしょう?
ゲーテねぇ。
私らの時代は実存主義全盛でしたから、あまり興味はわきませんでしたが、教授と論争するために多少は読みました。
京都学派の西田幾多郎の方に魅力を感じましたけどね。
当時はフッサールの「現象学」がバイブルでしたからね。
あそうそう、ゲーテなら友人の教授が専門家ですが。
もっとも古典の研究としてですけどね。
あのぉ、何か勘違いしてません?
ゲーテは文学者であって哲学者ではないんですけど…。
お得意の知ったかぶり炸裂ですかぁ?
そお言った狭い範疇で考えないほうがよろしいのでは?
言うならば大思想家でしょうね。私には退屈ですが。
で、ゲーテとベートーベンに心酔した熱き少年がどうしたのですか?
個人的な体験を語られても、それが何か?よかったですねぇとしか
いいようがありません。
あ、一所懸命ごまかしてやんの。
送ってきた携帯メールでもさんざん「実存主義」だの
「ドイツ情緒派」だのまったく的外れなチンプンカンプンな
メールをよこして強弁してましたもんねぇ。
あーあ、これでまた秀さんの化けの皮がはがれましたか。
秀さんには哲学と外国文学を語る資格なしと。
やれやれ。
この一文だけで、ゲーテを愛し・・・と言うのが嘘っぱちか
底の浅いものだという事がわかりますねぇ。