なにが悲しゅうて、きんぴらごぼうを味噌汁にぶち込むのでしょうか。
わが社の社内食堂から繰り出される驚愕のメニューを
前に、疑問と目まいがわきあがってきます。
この「きんぴら汁」、 Googleで検索しても上位5件しか
ちゃんとした結果が表示されないという世にも珍しいメニュー。
最近になって他の野菜が付くようになったものの、以前は
具のほとんどがきんぴらごぼうでした。しかも業務用そのまま。
そもそも、すでに炒めて完成された惣菜である
きんぴらごぼうを、なぜ味噌汁にぶちこんでしまったのか。
その、素朴な疑問にすら答えてはくれません。
しかも単品としてショーケースに並ぶのなら、単に
選ばなければいいので実害はなかったのですが、
先日は定食に無理やり付けるという暴挙に出ました。
「なぜこのおいしさをわかってくれないんだぁ~」という
食堂側の心の叫びなのか。
私の前に並んでいたガイジンさんなんか、定食の
「きんぴら汁」受け取るや否や目を白黒させ、いや
目を白青させ、「なにかの間違いでは?」という顔を
していました。
そして最近、もうひとつ驚愕のメニューが。
中華麺が入っていて。
味噌煮込み「風」になっていて。
で、結局「風」のあとに付く言葉はなんなのか。
これもまた、誰も教えてくれません。
味噌汁か。
豚汁か。
中華麺入りのこれを、ご飯とともに食えというのか。
なぜ我々はこれを食さなければならないのか。
私たちを哲学へいざなうかのような、謎の一品です。
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
http://www.totteoki.jp/negoto/
コメント
なぜか最初の一行の途中までが広島ベンになってますなぁ・・・
出雲では蕎麦の上にキンピラをのっけて食べてますよ。
昔からの食べ方だそうです。
「悲しゅうて」は別に広島弁ではありませんよ。
お上品な私は、広島弁のような怖い言葉は使いませんことよ。
“トマト味噌汁教”の原理主義者の秀さんにとっては、
味噌汁にきんぴらごぼうをぶち込むことなんて別に
異様なことでもなんでもないのかもしれませんが、
清く正しい日本人のほとんどは違和感を感じると思いますよ。
そうでございますか。
みんみんさんの会社って色んな人がいて幸せですこと。
そのうちキンピラを具にした巻き寿司がでてくるかもね。
さーすがみんみんさんを飼育しておくだけの
余裕のある会社ですこと。
すでに、きんぴらを乗っけたサラダはしょっちゅう出てくるんですよ。
どーしても我々にきんぴらを食わせたいひとがいるようです。
食堂に提案BOXのようなものは無いのですか?
「キンピラを守る会」から抗議がきてるからとか書いてやれば?
そういえば給食にキンピラを具にした餃子が出てきたとか
聞いた事あります。
今の学校給食ってけっこう仰天メニューがあるみたいですよ。
きんぴら汁ごときのことで投書したら、
小さい人間と思われちゃうじゃないですか。
投書はもっと“こんなまずいもの初めて食べた”
っていうような時に使わなきゃ。ねぇ。
きんぴら、好きですけれど、やっぱり単品でいただきたいですね。
学校給食は区によって違いますが、工夫という名の変な試みが
いろいろとされているようです。
特に年度末、子ども達から集金したお金が余っても足りなくても
マズイので、とんでもないメニューが繰り広げられたりします。
詳細は今度お会いしたときにでも。。
由乃さんはお仕事で学校給食を食べるから詳しいですよね。
ぜひこんどその「とんでもないメニュー」を教えてください。
しかし最近の学校給食はおいしくなったって言いますけど、
実際はどんなものなんですか。こればかりは我々オヤジは
なかなか食べられませんからね。
御徒町に、学校給食を食べさせてくれる居酒屋があるそうで、
いつか行ってみたいとは思うのですが。
ちなみに私はいわゆる「脱脂粉乳世代」ではなく、
ジャムが「黒人に耳輪」だったり、「ミルメーク」を牛乳瓶に
入れて喜んでたりした世代です。まずい食パンとか、
冷凍ミカンとか、クジラカツもなつかしいなぁ。
ちく天は子供の給食で知りましたが、讃岐ではうどんの
トッピングではごく一般的ですよね。
「脱脂粉乳」は絶対に飲みませんでしたね。
バツで毎日教室に残されましたけど、
最後は教師が根負けしてしまいました。
その教師と10年ほど前クラス会で会いましたけど、
「アンタのしたことは教育ではなく調教だ」と
酔っ払ったフリをしてののしってやりました。
さぞかし悪ガキだったんでしょうねぇ。
しかも50年もたってから恩師に悪態つくなんて。
ホッピーの瓶で恩師を殴ったりしなかったでしょうね?
秀さんだったから「調教」で、
ほかの子どもたちには「教育」だったんじゃないですか。
ほら、人間とケモノの違いで。
いえいえ、気の優しい優等生でしたよ当時は。
件の教師は非情に強権的でとにかく生徒を
支配しようとして、高圧的でしたね。
田舎の中学でしたから素朴な生徒が多く
唯々諾々と従う感じでしたけど、私は
徹底的に反抗しました。
生徒に日記を毎日書かせて提出させ、
他の生徒の素行を密告するように奨励して
ましたね。
私は日記そのものを提出しませんでした。
おかげで私の中学時代は暗黒の時代でしたね。
そいつがノウノウとクラス会に出てくる
なんてゆるせませんでしたよ。
海に沈めてやろうかと思いましたもん・・・・・
その反抗精神がのちに社会に向かい、
秀さんが裏社会へ身を投じるきっかけに
なったんですね。
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よかったじゃないですか、そのおかげでいま
こうして裏社会を牛耳る窓際経営陣のひとり
としてのんびりできているわけですから。
恩師に感謝しなきゃ。
でもその恩師はいまごろ宇品港のアナゴの餌に…。
ああこわ。
そう言えば、その後姿が見えなくなりましたなぁ・・・・
一人暮らしの年金生活老人だったようですが。
秀さんが「資産家」を自称するわけがわかったような気がします…。