「龍馬伝」を見ていて気づきました。
この物語が、映画「アマデウス」と酷似していることに。
つまり、坂本龍馬はモーツァルト。
そして、岩崎弥太郎はサリエリ。
偉大な業績を残しながら若くして世を去った天才と、
生き残って現世での成功を勝ち取った凡人の物語。
しかも物語の「語り部」が凡人のほう、というのもまったく同じ。
天才が、ありあまる才能と自由奔放な行動によって
数々の業績を軽々と成し遂げていくのに対し、
凡人は、天才を前におのれの小ささを嫌というほど
知らされ、なぜ神はこの男を選んだのかと妬み続ける。
生き残った凡人が、いまはなき天才の物語を
妬みや敗北の苦しみとともに語っていくという構図もまた
あまりにも似すぎています。
「龍馬伝」はこれからも龍馬と弥太郎のふたりを軸に展開し、
龍馬の早すぎる死の真相へとなだれ込んでいくのでしょう。
しかし、大河ドラマともあろうものが、20年以上も前の
映画の構図をそのまま拝借して演出しているのだとしたら、
それはけっこう恥ずかしいものがありますけどね。
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
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コメント
おや、今気付きましたか。
私はもうとっくにそうでは無いかと思ってました。
但し、手法の真似は恥ずかしい事では無いと思ってます。
同じ手法で、材料を変えて料理するようなものです。
あ、ずる~い。
「実はそうじゃないかと思ってました」だなんて、
完全な後出しジャンケンじゃないですか。
そもそも「アマデウス」を観たことあるんですか?
アマデウスって誰かわかります?
あのですね、大体私の事オヤジの代表みたいに考えてませんか?
モーツアルトに関しては、小林秀雄の読者として前から非常に興味があったのですよ。
「龍馬伝」観ながら女房に「これアマデウスの手法だよな・・・」って話していたんだから・・・
オヤジの代表じゃなかったらなんの代表なんですか。
じじい?
何の代表でもありませんよ。一小市民です、はい。
ま、不良じじいでもいいですけど・・・・
そうそう、スケベおやじの代表でしたね。
まったく、みんなスケベおやじになるんですよ。
だいたい下半身に人格なんて無いんだから。
私のは人格者ですよ。
いつもこうべを垂れてますし。
おやまぁ・・・高尚な話がいつの間にか下半身の話に・・・・
もうりっぱなオヤジになりましたね!
レベルを合わせて差し上げたんですよ。
ああ、しんど。
しかしこの話、NHKの関係者が観たらちょっと冷や汗モンじゃないですかね?
冷や汗をかくのはまず脚本家で、
次にドラマのプロデューサーでしょうかね。