ほんとうにおいしい店だけのグルメガイド
東京とっておき! !

日本人の知らない日本へ。

2009.03.08

 

正月に欠かさず神社に初詣に行き、

十字架を前に永遠の愛を誓い、

死んだらみな”仏”となる。

これが、一般的な日本人の姿でしょう。

神道、仏教、キリスト教といった宗教の違いに、
あまりこだわりを持ちません。

しかしこれを、日本人がいかに「無節操」で「無宗教」であって、
世界的に見て恥ずかしいことかという風に語る”エセ文化人”がいます。


とくに、いまだに唯物史観にすがりつく連中や、
西洋文明至上主義のかぶれた者どもにとって、
こうした「無宗教で無知蒙昧な日本人」という説明は都合がいいのでしょう。

しかし、私たち日本人は本当に無宗教でしょうか。

私たちの日常は、たくさんの「祈り」に満ちています。

子どもの幸せを祈り、商売繁盛を祈願し、健康と長寿を願う—。

“誰に祈るか”ということは、実は問題ではありません。

私たち日本人は、日頃の生活のなかにたくさんの”神”を感じ、
漠然と、しかし確実に信じて生きてきたのです。

神社で柏手を打ち、結婚式で賛美歌を歌い、墓前で念仏を唱えるのは
むしろ日本人の”寛容さ”の表れなのです。

日本人は、宗教的対立によって殺し合った経験を持たない民族です。

たしかに、キリスト教をはじめ、為政者が宗教を弾圧した歴史はあります。

しかし、違う宗教を信じる者同士が憎しみ合い、殺し合うような
内戦状態に陥ったことは、日本の歴史上一回もありません。

日本人はお互いの違いを認め合える、おおらかな民族だったのです。

一方、世界は数千年にわたって連綿と、そしていまこの瞬間にも、
宗教をめぐって殺戮を繰り返しています。

神の名のもとに人を殺すことが許され、憎しみが憎しみを呼ぶ暴力の連鎖。

そこには、寛容さなど存在しません。

いま、日本人の”宗教的寛容さ”こそ、
世界に誇るべき日本の最大の美徳であり、
世界が憧れる日本の “心” ではないでしょうか。

しかしいま、日本人が自分たちの”神”を忘れるとともに、
私たちの社会は寛容さを失いつつあるような気がします。

日本人は、日本を忘れつつあるような気がします。

みんみん(♂)とっておき!!支配人

福岡県生まれの九州男児。中学高校とブラスバンドに所属し、高校のブラスの先輩がタモリさんというのが数少ない自慢です。メディア関係の企業に就職し、転勤族だったため各地のおいしいお店を探して食べ歩きを始めたのがこのウェブサイトの原点。現在は、映像関係の会社を営んでいます。

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