” 引退するから賞をくれ “
そう言われても、この内容ではいくらなんでも
賞はあげられなかった、ということでしょう。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」。
その隠しテーマは、まさに ” 才能は枯渇する ” でした。
劇中、「創造的才能は10年間」といった言葉が繰り返し出てきます。
それは表面的には、主人公の堀越次郎が特異な才能を
発揮した10年間が戦争の時代であり、彼が創り上げた飛行機が
あの、翼が印象的な「九試単座戦闘機」やゼロ戦(零式艦上戦闘機)
という兵器であったということを、不幸なこととして描いています。
つまり、ただ ” 美しい飛行機 ” を目指した天才が、戦争の時代に
生まれてしまったがゆえに殺人の道具を作らざるを得なかった。
しかしそれでも彼は懸命に生き、” 美しい飛行機 ” を歴史に残したと。
だから、キャッチフレーズが「生きねば。」
しかし一方で、「創造的才能は10年間」という言葉は、まさに
宮崎駿自身に向けられた刃だったのではないでしょうか。
今回、舞台をファンタジーから現実に置き換えたにも関わらず、
内容はあまりにも幼稚でした。
彼の映画は昔からそうですが、美しい風景とちょっと幻想的な
シーンを積み重ねればそれで物語になると思っています。
ストーリーテリングが稚拙で、すべてのシークエンスが尻切れトンボ。
途中は退屈なほどカットを重ねるにも関わらず、肝心の内容が
物足りないまま次の話になってしまうため、観る者は置いてきぼりを
喰らいます。かといってのちに伏線が張られているわけでもない。
それでもまあ、これまでの宮崎駿ならバケモノがたくさん出てくれば
なんとか繕うことはできたかもしれません。しかし今回出てくるのは
人間だけですからその手は使えず、ストーリーテリングの稚拙さ
だけが印象に残る形になってしまいました。
また、宮崎駿は激しい恋愛をしたことがないのではないかと
強く感じさせられました。
久しぶりの再会を果たして紙飛行機で遊び、最後にちゅーをすれば
それで恋愛が成就するなんて、いまどきの中学生ですら失笑です。
人間の心の機微が、全編どこにも見当たらないのです。
よく言えば、心はいまも少年のままなのでしょうか。
久石譲の音楽もまた、” 才能の枯渇 ” を如実に物語っていました。
先の「崖の上のポニョ」で、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を
完全にパクッた音楽が出てきたときはひっくり返りましたが、
今回もドイツでのシーンで名曲のパクりでお茶を濁していますし、
印象的な音楽はひとつもありませんでした。
まさにひとつの時代、ひとりの才能が終わったな、という感じです。
実は、今回の宮崎駿の引退表明に先立って、スタジオジブリでは
興味深い動きがありました。
詳しくはリンク先を見てもらえればわかりますが、今年9月と来年4月に
入社を予定していた研修生の募集を急遽、見送るというのです。
しかも「この件に関してのお問合わせはいっさいお答えできません」
との頑なさ。
さては宮崎駿の引退を見越して、経営の先行きが不安になって
きたかとゲスの勘繰りをしたくなってしまうタイミングでした。
(あくまでたまたまのことでしょうが)
クリエイティブな仕事をする者はみな、才能の枯渇に絶えず
怯え続けています。
それはいつ来るのかわかりません。もしかしたら明日来るのかも
しれない。いや、もう来ているのかもしれない。
その恐怖がある者をがむしゃらな創作活動に駆り立て、
またある者を創作とは離れた場所への逃亡に駆り立てるのです。
才能はいつか枯渇する。
その厳然たる事実を痛感し、引き際の大切さを考えさせられた
一日でした。
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
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