日本経済新聞の、きょう(8月14日)のコラムです。
空襲が太平洋戦争末期の限られた期間だけだったこと、
その空襲が始まった時点で敗北は明らかだったにも
かかわらず、日本が徹底抗戦を掲げ続けたために
東京大空襲、そして広島・長崎の原爆投下につながった
のだと説いています。
しかし、著者がなぜいまこんな話を引っ張り出してきたのか、
そして肝心の「何が言いたいのか」が最後まではっきりしない
うやむやな文章となっています。
実はこの文章、どうやら安倍晋三首相に対する非難の意味が
込められているようです。
安倍晋三首相は今年、広島・長崎での原爆犠牲者の追悼式典で、
原爆投下について「非道」という言葉を相次いで使いました。
日本人は唯一の戦争被爆国民だ。われわれには確実に
「核兵器のない世界」を実現していく責務がある。
その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがある。
(2013年8月9日 長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)
戦時国際法ですら非武装の市民(非戦闘員)に対する攻撃を
禁じているというのに、米国は木造家屋を焼きつくすことを狙った
焼夷弾の雨を東京などに降らせ、高熱と爆風による壊滅的破壊と
放射線による大量殺戮を狙った原子爆弾を広島と長崎で炸裂させ、
無辜の市民を巻き添えにした大量虐殺を行いました。
安倍首相は「非道」という言葉を使うことで、おそらく日本の首相
として初めて、原爆を使用した米国を直接非難したのです。
その意味は歴史的にも非常に大きいものがありました。
どうやら上の日経のコラムは、この首相の姿勢を暗に咎めている
ようです。
「原爆投下には前史があったことをもっと知ってもいい」
この言葉に著者の意図が集約されています。
つまり彼は、原爆を落とされたのは敗戦を受け入れなかった
軍部のせいだと。米国のせいではないのだと。
「非道」という言葉で米国を非難するのは筋違いだと。
さすが、”米国基準の偽グローバリズム”を信奉し、日本での
布教にいそしんできた日経らしいと言えばそうかもしれません。
しかし、なんという自虐史観でしょうか。
これまで、戦後日本を支配してきたのは、
「日本が悪いことをしたんだから、何をされてもしかたなかったのだ」
という言い訳でした。
ポツダム宣言受諾による「無条件降伏」の意味をはき違え、
日本人はそれまでの価値観や歴史すべてを否定してしまいました。
精神的な「無条件敗北」「無条件自己否定」に陥ってきました。
それが現在の日本人特有の精神的な弱さ、他者への過度な依存、
そして他者を尊敬できない風潮、という日本の不幸につながって
しまった気がしてなりません。
たしかに歴史は勝者が作るものでした。
「東京裁判」は、まさに米国をはじめとする連合国という勝者が、
日本という敗者を一方的に裁いたものであり、そこに正義は
ありませんでした。
日本にとって、その結果を受け入れるほか道はありませんでした。
しかし「非道」は、「非道」なのです。
戦時国際法に反し、無差別の大量殺戮を行った米国は、
いまもその行為自体が「人道に対する罪」に問われるべきです。
勝者によって作られた歴史は、歴史自身によってもう一度
裁かなければならないのです。
ふたたび「正義」の名のもとに。
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
http://www.totteoki.jp/negoto/