中国が、いよいよ牙を剥きはじめた—。
まともな思考能力を持つ日本人ならば、誰もがそう思ったことでしょう。
同時に、私たちがいかに論理的に正しく、他国に寛容であり続けたと
しても、戦争というものは起こされてしまう可能性があるということを
多くの人々が直感的に悟ったはずです。
いかに外交というものを甘く見ていたか。
いかに国家を背負う気概というものが欠如していたか。
今回、激しく非難されるべきは、言うまでもなく首相の菅直人と
仙石・前原・岡田といった閣僚の面々です。
彼らの発する「粛々と」という言葉の背景には、結局なんの戦略も
思慮もないことが明らかになりました。明らかになったのは、彼らの
耐え難いまでの「幼稚さ」だけでした。
思えば2004年、中国の活動家7人が尖閣諸島に上陸し、不法入国
容疑で逮捕されたとき、当時の小泉内閣は起訴しないまま強制送還
するという決着をはかっています。
当時、”弱腰”と批判されたこの判断は、結局は早期収拾につながり、
日本の権益を守るという点で正しかったことが図らずも今回、明らかに
なりました。
つまり、靖国神社への参拝などであれだけ中国を刺激し続けた
小泉のほうが、ちゃんと落としどころを知っていたというのですから、
これはもう皮肉以外の何物でもありません。
今回の事件で、今後東シナ海の白樺ガス田での中国の”盗掘”を
止める手立てはなくなってしまったのかもしれません。
またこのまま放置すれば、日本周辺海域での中国の横暴な
振る舞いがさらにエスカレートすることも避けられないでしょう。
那覇地検が中国人船長の釈放を決めた2010年9月24日は、
日本という国家が中国の圧力に屈した「国辱の日」として、
長く日本人の記憶にとどめられることになるのでしょう。
さて、「亡国の内閣」はいつか消えてくれることを願うとして、
これから我が国は、膨張する中国に対してどう向き合い、
どのようにして領土と国民を守っていけばいいのか。
その唯一の道が、「日越国家連合」であると私は考えます。
これは、私が1999年から毎年のようにベトナムを旅し、現地の人々と
交流を重ねてきた経験からの結論です。
日本とベトナム。
このふたつの国は、遠くにあって実はよく似ています。
ひとつは、その国民性。
温厚かつ勤勉、そして粘り強いという点で、これほど日本人と似た
民族を私は知りません。
大乗仏教をベースにしたおおらかな宗教観を持っていることも
共通点で、他の宗教を排斥するような原理主義的な考え方を
しません。
最近の経済発展によって拝金主義的になったとは言いますが、
ほとんどの人々は素朴で実直。将来に希望を持って生きています。
かつての高度成長期の日本人のようです。
もうひとつは、中国との距離感。
中国に隣接し、歴史的に中国に大きな影響を受けながらも
独立した国家として中国と対峙してきた点で、日本とベトナムの
中国に対する距離感はそっくりです。
とくにそれが表れているのは、言葉。
たとえば「豆腐」はベトナム語で「ダオフー」。
「注意」はベトナム語で「チュゥイー」。
日本語とベトナム語には実にたくさんの似た単語があるのです。
これは言うまでもなく、ともに漢字がもとになったから。
しかし両国は中国語をそのまま受け入れるのではなく、それぞれの
言葉に変容させながら組み込んできました。
まさに「和魂洋才」の精神で、つかず離れず中国と接してきたのです。
そして、両国は味覚も同じ。
コメを基礎食糧とし、魚介類を蛋白源とする食生活はまさに瓜二つ。
さらに唐辛子などの辛味を多用せず、うま味を重視する点でも同じ。
ベトナム料理が、ほかのどのアジア諸国の料理よりも日本人の味覚に
合うものであることは、一度でも食べたことのあるひとなら理解できる
ことでしょう。
結婚生活ではないですが、味覚が近いということは末永く一緒に
やっていく意味で非常に重要なことだと思います。
この、双子ともいうべき日越ふたつの国家が、ゆるやかな連合を
組み、積極的にヒトとモノの交流を進めていく。
それは、EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)を超え、労働力の
移動や移民の自由を含めた民族の交流の拡大につなげていくもの。
労働力の問題、高齢化・少子化の問題、いま日本が抱える問題の多くが
このゆるやかな国家連合によって改善に向かい、日本の”再起動”の
大きなきっかけとなるはずです。
一方でベトナムにとっても、日本の技術の導入や観光・移住などの
ヒトの交流の拡大は、経済発展の起爆剤となることでしょう。
そして東と南で中国を囲む日越両国が手を結ぶことで、中国の
海洋権益の覇権という野望を食い止め、周囲の海の安全を
守ることができるはずです。
かつて、日本人がドイツを旅すると、「こんどはイタリア抜きでやろうな」と
声をかけられる、というジョークとも本気ともつかないエピソードが
ありました。
日本とベトナムならさしずめ「こんどは一緒にアメリカをやっつけような」
というジョークでしょうか。
そう、米国と戦争をしたという歴史でも両国は共通します。
それがこんどは、「一緒に中国を羽交い絞めしような」であっても
いいはずです。
「日越国家連合」。
日本の将来のために、検討に値すると信じます。
(敬称略)
コメント
先週、短期間ですがベトナムを旅する機会がありました。
日本人及び日本に対して非常に好意的であることが実感できました。
と同時に、中国に対する警戒感は大変なもので、ハロン湾クルーズの案内人も
「この直ぐ先には中国の艦船がいる」と顔をしかめて説明していたのが印象的でしたね。
それと中国人はベトナムの事を「越南」と呼んで属国のような感覚を持っている
ようですが、ベトナム人は自国の文化に非常に誇りを持っているようでした。
外交とは武器のない戦争だと言われていますが、まさに今回は日本外交の
完敗と言われても仕方のないことだと思います。東シナ海を「友愛の海」にするなんて
甘っちょろい感覚でいると今後も外交で負け続けるでしょう。
それと注意しなくてならないのは、いわゆる「識者」の言う
「安保があってもアメリカは日本を守らない」と言うような言辞です。
確かにアメリカは日本と中国との領土問題に介入して日本に味方することはしないでしょう。
あくまでも二国間問題であるのですから。
ただ日本が第三国と交戦状態になった場合には間違いなく日本と共に参戦します。
但し重要なのは日本が本気で戦う気があると言う事が前提です。
日本が戦わないのに一方的にアメリカが助けに来てくれる事は無いだろうという事は
肝に銘じておく必要があるでしょう。
そういえばベトナムに行くっておっしゃってましたね。
実際に行ってみると日本とベトナムの
“近さ”がよくわかったんじゃないかと思います。
ところで、おみやげが届きませんが、まだですか?
ハノイのバイク洪水にはびっくりしました。200万台だそうで、
しかも大半はここ3年くらいで購入されたモノだそうです。
でも、ちょっと拝金的な側面も垣間見えて、案内人も嘆いてましたよ。
空港売店の店員のやる気の無い態度に好感もっていたんですけどね・・・・
お土産ね、もうちょっと待ってくれたらミサイルが届くかもしれませんよ、中国製かもしれませんが。
まあ、バイク洪水はベトナムの名物みたいなものですからねぇ。
空港売店など公務員はさすが共産主義って感じですよね。
怠け者の秀さんには共感できるところがあるのでしょう。
でもベトナムで共産主義を感じるのはこのほか、
国民全員がIDカードの携帯を義務付けられているところ
くらいしかなくなっていますよね。
中国との共通点が一つありました。
それはレストラン・料理屋で食事をしてる時、食べ終えた食器は無論の事ですが、
未だ食べ終えてない食器までかたずけたがる事でした。
黙ってるとあれよあれよと言う間もなくかたずけてしまいます。
上海の結構上級レストランでもそうでしたが、ありゃなんでですかね?
落ち着いて食事をしたいのにね。
まあ、早く帰りたいからでしょうねぇ。
以前、私がホイアンで泊まったホテルのレストランでは、
店員の女の子がつきっきりで食べ方を教えてくれたりしましたから
まあ、モテる男とそうじゃないオヤジとの違いかもしれませんが。
それはね、食い逃げされるんじゃないかと心配して、
側を離れなかっただけなんですよ。
ほんとみんみんさんて幸せな方ですね。
なんか、悔しさが滲み出ている文章というのは
こういうものだ、という見本のような文章ですね。
大丈夫、秀さんは広島でモテモテなんでしょ?
だったらいいじゃないですか。
なんか図星をつかれてうろたえてる姿が目に映るような
文章ですこと・・・
その子とはその後、ダナンにデートに行ったりしましたが、
ほかにもそのホテルの若い従業員の子たちとは男の子も含めて
みんな仲良しになって、カフェに行ったりカラオケに行ったりして
たくさん遊びました。
そのホテルのオーナーからも気に入られて、行くたびに
プレゼントをもらっていましたね。象嵌細工の箸セットとか。
実はそのホテルに最初に泊まった日が、ホイアンが世界遺産への
登録が決まったその日で、その後もそのホテルの発展の節目節目に
私が泊まっていたようで、以来私は「福の神」だと思われたようです。
ほらほら、悔しいでしょ。
そりゃあ「金玉満堂」おじさんそっくりですもんねぇ・・・・・