広告にはときどき、いったいどういう意図でこうなったのか
まったく理解できないものがあります。
最近の身近な例で言えば、サントリー烏龍茶の
「幸福を笑うな」。
なぜ「幸福」が笑う対象にならねばならないのか。
その前提を提示してもいないのに、この広告は我々に命令するのです。
私はこのコピーを見るたびに、猛烈な嫌悪を覚えます。
商品の特性を語るわけでもなく、社会へのメッセージがあるわけでもなく、
単に「幸福」と「笑うな」という単語の組み合わせの意外性を狙うだけ。
何のメッセージも感じられません。
相当に不評だったのでしょう、このコピーはあっと言う間に消えてしまいました。
しかし、上には上がいるもの。
もっともっと理解できない広告がありました。
「誰にも相手にされない私、ラグナロクオンラインではチョー頼りにされてんだ。」
地下鉄駅構内に掲示された、ネットゲームの広告です。
「誰にも相手にされない私」が、ここでは「チョー頼りに」されるんだそうです。
しかも…。
「ってゆーか、見た目で判断するの、おかしくね?」
見た目で判断するの、おかしくね?と主張しているということは
この広告が対象とするのは見た目が良くない人々、ということ。
しかもご丁寧に、北関東訛りをルーツとする”語尾上げ”です。
「誰にも頼りにされない」「見た目が良くない」人々が集まる場所。
あなたは、こんな場所(ウェブサイト)に行きたいですか?
まったく理解できません、この広告。
作り手の頭の中身を疑います。
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
http://www.totteoki.jp/negoto/