みんなもう忘れてしまっていますが、小泉純一郎は首相当時、
郵政民営化のほかに「首相公選制」も重要な公約のひとつに
掲げていました。
現行憲法下では、内閣総理大臣は国会の指名によって選ばれます。
しかも、指名されるためには国会議員であることが条件。
これを「議院内閣制」と言います。
つまり国会で多数を占める政党から、その政党で力を持つ者が
首相に選ばれることになるこの制度。
たびたび密室政治や政権のたらい回しの温床となる可能性が
指摘されてきましたし、リーダーシップや優れた政策を持つ者よりも
集金力や面倒見の良さを持つ者のほうが首相になりやすくなる、
という歪みもありました。
それに対し首相公選制は国会議員の要件を外し、国民による
直接選挙を行うことで、真に首相にふさわしい人物が選ばれる
ようにするというもの。
アメリカなどの「大統領制」に限りなく近い制度と言えます。
2001年の自民党総裁選で、”橋本龍太郎有利”の下馬評の
なかで、変化を望む声なき一般党員の票によって大どんでん
返しの圧勝を経験した小泉。
この経験から、小泉は自分のような首相を生み出すために
首相公選制を推し進めようとしたと考えられがちですが、
私はどうもそうではないんじゃないかと思ってきました。
つまり小泉は、具体的な誰かを首相にしたいがために
首相公選制を実現しようとしていたのではないかと。
その具体的な誰か、とは誰か。
石原慎太郎です。
小泉は、石原が国会議員だった時代に同じ派閥(清和会・福田派)に
属した仲でした。しかもふたりは遠い親戚関係にあります。
また、小泉が再選を目指した2003年の自民党総裁選では
石原は大方の予想を覆し、それまで交友関係にあった
亀井静香を裏切って小泉支持を早々と打ち出し、小泉再選の
流れを決定づけています。
小泉と石原。このふたりの間には、強い信頼関係があったと
考えるのが自然です。
石原慎太郎は、1999年の都知事就任以来、国に先駆けて
画期的な政策を数多く打ち出し、実行してきました。
それまで危機的状況にあった都の財政の再建を成し遂げ、
ディーゼル車の排ガス規制や認証保育所制度の創設、
中学生以下の子どもの医療費無料化の推進などで国や
全国の自治体の先を走ってきました。
また羽田空港の再拡張や赤坂議員会館の建て替え問題、
東京メトロの株式上場についてなど、国に対し対等な立場で
モノが言える首長は石原ただ一人と言っていいでしょう。
強烈なリーダーシップを持つ彼が首相ならば、との思いは
都民ならずともたくさんの人々が抱いていると思います。
少なくとも小泉の首相在任時に首相公選制を導入すれば
次の首相の座にいちばん近い位置にいたのが石原であった
ことは間違いありません。
もし小泉が首相公選制を実現していたら、いまごろ日本は
どうなっていただろうかと思います。
さて。
きょう(4月10日)、新党「たちあがれ日本」が結党されました。
右派の平沼赳夫が代表で政策通の与謝野馨が共同代表。
国家観が違いすぎる、とか郵政民営化をめぐって賛否のふたりが
うまくやれるのか、とか平均年齢が70歳の「家出老人」の集まり
であるとか、他党やマスコミの連中はやっきになってくさしている
ようですが、そんなことはこの党の本質とはまったく関係ありません。
「たちあがれ」という動詞、しかも命令形という、意表を突いた
斬新な党名は、石原慎太郎が名付けました。
しかも政党要件として必要な国会議員5人のほかに、わざわざ
都知事の身分で自ら加わり、発起人にも名を連ねています。
そう、これは平沼新党でも与謝野新党でもなく、石原新党。
たぶん石原は、来年の三期目の任期満了で都知事を退いたあと、
衆院選に出馬、ふたたび国政に打って出てくることでしょう。
かつて小泉純一郎が首相公選制で目指したものが、近い将来
実現する日がやってくるのかもしれません。
(敬称略)
この文章は「とっておき!!のねごと。」からのものです。
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