メンチカツがおいしい、とのことで連れてこられたのですが、
私の目を釘付けにしたのは「スタミナ豆腐」という赤い一品でした。
それは、まごうことなき「からし焼き」。
北区十条だけのローカルB級グルメとして知られる「からし焼き」と
寸分違わぬ姿がそこにあったのです。
豆腐と豚バラ肉を真っ赤な辛いタレで炒め、キュウリの細切りを
トッピング。そして味もまったく同じ。ちょうど数日前に十条の
「大番」のからし焼きを食べたばかりですから断言できます。
これまで“十条だけのローカルメニュー”とされてきた「からし焼き」
が、突如10キロ近く離れた浅草のはずれに出現したのです。
この店があるのは、浅草の北。
東武やメトロの浅草駅から北に歩いて15分ほど。
浅草寺を越え、かなり吉原に近づいたな、というちょっとさびしい
雰囲気の場所にあります。
名物はメンチカツ。たしかにキツネ色にこんがりと揚がった
丸いメンチカツはとってもジューシーで、そのままかぶりつくと
じゅわっとあふれんばかりの肉汁が口の中に広がります。
食べログでもほとんどの人が最初からメンチカツを目的に訪れて
いるようで、メンチカツへの高い評価は並ぶものの、壁にかかった
たくさんのメニューはあまり食べてこなかったよう。
なかでも「スタミナ豆腐」は一切触れられず、写真1枚たりとも
掲載されていませんでしたから、まさにノーケアだったのでしょう。
食における大発見がずっと見逃されてきたのです。
しかし問題は、十条にしか存在しないとされてきた「からし焼き」が、
なぜ遠く離れた浅草にぽつんと存在しているのか。
それは、この料理がもともと東京全体に広く存在したからではないか
と思うのです。
以前、十条の「大番」でからし焼きを食べたとき、私はひとつの仮説を
立てていました。つまりこれは、“見よう見まねで作った麻婆豆腐”
なのではないかと。
からし焼きが十条で誕生したのは昭和40年とのこと。
当時、まだ中華料理といえばラーメンや餃子、せいぜい酢豚くらい
しか一般の人々には馴染みがなかった時代に、“豆腐と肉を使った
赤くて辛くてうまい料理があるらしい” との噂から試行錯誤の末に
できあがったのがこの料理ではないかと思うのです。
こうして新たに誕生した “妄想チューカ料理” は、下町を中心に
広がったものの、やがて“本場”の麻婆豆腐に駆逐され、ごく一部の
限られた地域にのみ残ったのではないかと。
そして今回、その飛び地が浅草にあることがわかり、
「隠れキリシタン発見」ならぬ「隠れからし焼き発見」と
なったことは、この仮説を証明するものになりはしないかと
思うのです。
この翌日、私はもう一度この店を訪れ、スタミナ豆腐(からし焼き)
とメンチカツを食べました。
ひとつ、確認したいことがあったのです。
帰り際、この店の主人にひとこと尋ねました。このスタミナ豆腐は
いつからあるのですか、と。
「ずっとです、ずっと昔からあるんですよ」。
「ニュー王将」(浅草・居酒屋)
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131102/13058268/